春先に作ったカホンが、先日お嫁入りした。
林業に携わる友人の主催で氷見産のボカ杉を使ったカホン作りのWSに参加して作ったものだ。
作ったあとは、いつまにか工房の腰掛いすとなり、たまにたたくという感じで、しずかにお蔵入りしていた。
それが、
先日工房を訪ねてくださった方がこれを見て、「一晩貸してくれる?」との一言で急展開。
詳細は、ご友人のライブが近々あって、ドラマーの人がカホンを使っているので、この富山産のカホンを使ってもらってみたらどうかと。
そんなステキな話、即OK!で、そのまま車に積み込まれて旅立っていった。
それから2日後にライブがあって、ありがたいことに拝聴することができ(カホンがよく見えるようにとわざわざ席を設けていただいた!)、ほんとカホンどころか、演奏者たちの横姿がしっかりと見えて、感動的だった。
ひなたぼっこをしてるような まどろみの中にいるような演奏。音の光がアラベスクのようにこぼれる。そんな中で、カホンはやさしくリズムをとる、、。
ライブ終了後にはそのドラマーと直接お話しさせてもらい、その感触を聞かせてもらうことができた。
そして、カホンを持ち帰ろうとして、抱きかかえたら、カホンがなんとなく居心地悪そうにしてる。しばらくその場周辺をカホンをなだめるかのようにうろついているうちに、この子の心がもう私のところにはないということをふわっと感じた。このカホンはもう別のところに居場所を見出してる。
『ものには心がある』
民俗学者である田中忠三郎の言葉がふと脳裏をかすめた。
自分で作ったものだからことさらかもしれない。
しかもつい最近、サンダーで座面を滑らかにカーブさせたところだった。
次の工程は、側面だな、そのあとは蜜蝋仕上げかなと、ちょっとわくわくしながら今後の工程を考えていたのは確かだ。
それが、急展開でライブの話となり、途中で貸し出すことになった。
でもね、座面を整えただけだけれど、このカホンに対する私の役目はここまででOKだったのかもなと思った。
座面にサンダーをあてながら、カホンの材となった氷見杉と「ここ削ってもいい?」とかいろいろお話してた気がする。こんな作業をさせてくれたカホンをうれしく思った。
日々、溶けるガラスを竿にまき、器を制作しているけれど、忘れがちになること。
作るって、自分ひとりの作業ではない。じぶんの目の前にある材との共同作業なのだということを痛感する。そこが一方通行になると、お互い不幸になるし、いいものは生まれてこない、、と感じている。
ライブが終わって、カホンを抱きかかえながら、
そんなこんなを思い起していくうちに、このカホンの私へのお役目も済んだのだと。
お互いにそのときに必要なものが満たされたことに気が付いた。
気がつけば、抱きかかえていたカホンをいつのまにか抱きしめていた。
こんなステキな音をくれたドラマーに、仕上がり不足のカホンだけどこのまま使ってもらえたらと思い、戻って行ってお声がけした。半ば脅迫的(苦笑)に。
ドラマーはとても恐縮してらしたけれど、さいごには梱包して次の会場、北海道へ。
これから、あのカホンはどんな旅をしていくのだろう。
Bon voyage!
あー。
やっぱり、もっとサンダーかけて、蜜蝋塗って、ちゃんとしとけばよかったなと後悔三昧。
けれど、次作るときはちゃんとできるはず。それをこのカホンは教えてくれたのだから。
そして、また、こんなふうなギフトになれば、こんなうれしいことないな。
つぎは、どの材で作ろうか。。
もちろん、富山産の木材で(嬉)