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2022.01.18 Tuesday

 

「民藝の100年展」に行ってきました.

総点数450点に及ぶ作品と資料は圧巻。けれど、そういったモノの展示以上にその背景やルーツを含めた、多角的にとらえた展示となっていて、民藝を「動き」としてとらえた展示になっていて、見ごたえがあった。
これまでにない民藝展の感触があって、民藝の流れそのもの=作品のように感じられたなー。
近美での開催ということも、時代とともにあった民藝の流れを展示していると考えると、現代において近美で開催されることも腑に落ちる感じがあるけどどうだろうか?

そして、なにより、なんだー、今の私たちも当時柳たちがやってたことをやてるんだなあと、なんとなく友人の展示を見る感覚で見れた気がする(怖いもの知らずか😅)

ここ数年で、「民藝」という言葉を世にきくことが多くなり、ブームとまでなっていることに、時代がそれを求めている、そこに戻ることを必要としているのだというのが感じてはいるけれど。この「民藝」という言葉がなければ、今の私たちはこれをどう表現して
いたのだろうかと、、。そういう意味でも、柳が、民藝という言葉に、過去の蒐集物、当時の地域に根差した暮らしの道具、そこに新たなデザインを見出すということを、言葉一つにまとめたことはやはりすごいことだったのだと思う。 その一方で、「民藝」という言葉がなかったとしても、私たちは、彼らと同じように地域の暮
らしに目を向け、そこから智恵を学び、そこに今のデザインをとりいれたものづくりをしているのだろうということも思った。

柳によって提示された「民藝」という言葉。柳は、意識的に民藝をつくりだすことで、失われかけている、後世に残すべく手技を出版物や展示会、販売店といった流通を通して、ひろめることに努めた。
そして今、私たちは、その「民藝」という言葉に再び注目している。私たちが「民藝」にひかれるのは、スーパーノーマルというものがそこにあるからではないかと思う。ふつう、あたり前を突き詰めていったさきににあるものを見ているのだと思うのである。
「あんまりにもふつうすぎて、だけど一番使い勝手がよくって、やはりこれだよねと落ち着けるもの」、、民藝のコアにはこれがあって、すべてに共通する感覚ではないかと思う。

柳達の時代から比べたら、出版印刷物配布はSNS告知となり、、お店はオンラインショップがうまれ、目まぐるしい100年の変化だ。そして、その時代がちょうど戦争真っただ中の時代であったのと同じく、今わたしたちはコロナの渦中にある。時代は繰り返す
。けれど、つねに同じというのではなく、ちょっとずつ進化があって、わたしたちは、柳たちが提唱した「民藝」のセカンドウェーブを生きつつ、それを踏まえ、next民藝を生み出していくんだろうなあと興味深く感じ、帰途についた