そろそろこのブログに書くべき時が来たように思います。
じつは、3年前あたりから林業にかかわっています。
きっかけは、
ガラスの窯の燃料をガスから薪に変えられないかという思いと、
山暮らしをしたいという憧れと、
が、重なってのことでした。
薪を入手するにあたり、
私の頭の中には「購入する」という選択肢はなく、
まずは
木を伐らないと! → 山に行かないと! → 林業?
というルートしかなかったのが幸いか(苦笑)。
で、
林業というものを調べるうちに、
森林組合などの大型林業ではなく、
個人でできる小さい林業(自伐型林業)にたどり着きました。
そして、
その基礎研修(伐倒、道づくり、造材、搬出)を半年受けました。
そのあとは、自伐型林業をやっている個人の山主さんの山で施業研修をここ2年受け続けてきました。
最初は薪づくりのためでしたが、山にかかわればかかわるほどに、山の魅力とポテンシャルにどんどん引き込まれていきました。
その一方で、
私たちの暮らしが、山(森)自体が健全に循環していなければ成り立たないことも見えてきました。
だからといって
ガスと電気に頼ったガラス制作はやめられず、
毎回のように言い訳をしながら制作を続けてきた結果
今回のコロナの台頭でどうしようもないほどの打撃を受けたのでした。
仕事はほぼ自粛。
そんな中、今やれることを探すうちに、
ガスや電気を使わない、水も山から流れる水のみ、トイレはコンポストとという、
ある種ワイルドな暮らしに
ひと月ほど身を置くことになりました。
この暮らしは、
それまでやる必要のなかったことを手間ひまかけてやらなければ、今の暮らしができないことをこれでもかというほど体感させてくれました(苦笑)
そうしてようやく、
今のモノづくりができるのは、先人が築いてくれた文明的な暮らしがあるからだ、、ということを改めて痛感。
また、
私たち動植物の暮らしのおおもとをたどれば、豊かな水をはぐくむ山に行きつくことにも気づかされました。
山が荒れれば、やがて自分たちの暮らしもなくなるということが今ははっきりと見えます。
文明的暮らしが揺らぎ始めている今、
ほんとうにすべきことは、今の複雑化した暮らしをいちどバラバラに分解して、必要以上にものを作らない、もっとシンプルな暮らしに戻していくことではないだろうかと自問。
折しも、
林業の勉強とともに、
パーマカルチャーデザインの勉強も始めていたこともあって、
サスティナブルな暮らしへ移行することの重要性が、私の中でスムーズに整理整頓されていきました。
この半年、
ガラスを離れ、もう戻れないかもしれないことも覚悟しつつ、
林業をメインにとりいれた暮らしをして、
大げさかもしれませんが、
自然と直に向き合って、身体をはって生きることの喜びを思いっきり享受しました。
そして、驚いたことに、今までとは違うかたちでガラスとつきあっていけそうな感じが見えてきました。
これからのものづくりは、新しいものを作る以上に、
「今あるもの」を廃棄せずにずっと使い続けていけるような形に、
よりよくリデザインされることが必須である感じています。
そして、
グローバルな取引よりも、
地域内での地産流通で物々交換に近い形で行われること。
そこに人間らしい暮らしを取り戻すためのキーがあるように思います。
林業から、ガラスに新しい風を吹かせたい。