先日、宇奈月の白雪山善巧寺さんでの民藝と仏教の関わりをテーマにした展示に行き、
南砺の大福寺住職であり、となみ民藝協会会長である太田浩史住職と
「水と匠」のプロデューサー林口女史の対談を拝聴した。
自分のなかでもやっとしていたものが、からっと晴れたとても深いお話だった。
昨年、お仕事で林口さんと関わるようになって、
太田住職の民藝に関するお話をイベントやオンラインで聴講をかさねるようになった。
民藝と私のかかわりは、約20年前ガラスで器を作って売るようになってから、民藝館にちょくちょく足を運ぶようになって始まった。
民藝館の、そしてそこにある作品の、その凛とした空気に触れ、そこから帰ったあとの制作がぐっと引き締まるのを感じた。民藝にはなんらかの作用があるけれどそれがなになのかはわからなかった。
2006年から意をもって作り始めた「シンプルグラス」シリーズ。それまで大きな工房で働かせていただいて、いろんな技法を使い売れる商品を作ってきたが、作っていてホッとできたのは何でもない形状の、無垢なグラスだった。それをずっと作り続けることもまったく苦ではなく、ぎゃくに楽しくて仕方なかった。
まわりからは、作家がそんな、100円ショップにあるようなもの作ってどうするのかと言われたりもした。
「何でもないものに個性はないのだろうか?」
ちょうど、作家は個性を出してなんぼみたいな風潮があって、そこにもくすぶりを感じていた。
「個性なんて、自分からだそうとしなくてもでてくるもの、、それがほんとの個性じゃないのだろうか?」
しかし、若輩ではそんなことも言う気にはなれず、
とりあえず黙々と、シンプルなグラスを作り続けてきた。
そして、今回の対談を聴いて、
自分の制作が民藝につながっているということに気づかされた。
じぶんでも正直びっくりだった。
1年前に太田住職の民藝に関するお話を拝聴する機会を何度か持って、ゆっくりと確信に近づいていくのを感じていたのだが。
けれど、今回のトークイベントで、思わず、涙腺がゆるんだ。
このブログにうまく書けるかわからない。
けれど、今回の太田住職のお話を忘備録としてのこしておきたい。自分のために。